最後の聖域
注意報も何も出ていないし、風もほとんどない。
”これぞ宮古”といった、素晴らしい夏の1日になりそうだ。
昨日、宮古に戻った。
横浜に帰る日程を考えると、宮古の旅程は3泊4日。
普通なら、それだけで”ひとつの旅”としては十分な日数だ。
だが俺はすでに荷造りを始めている。
なぜそうなってしまうのか自分でも不思議なのだが、今日荷造りを終わらせないと間に合わないのだ。
本来なら3泊4日の”2日目”は、最も自由に遊べる日のはずなのに。
朝から荷造り。
しかも腰が痛い。
自分でもわけがわからない。
痛み止めも湿布も効果はあまりないようだ。
今日、荷造りを終わらせて、明日どこかの海でシュノーケリングしようと考えていたが、結局、この腰では無理そうだ。
海はもう諦めよう。
(※数年前に撮影した”ラビリンス”のサンゴ群)
最後に、俺が”ラビリンス”と名付けた南のビーチに行きたかった。
それで宮古の海への思いを断ち切る決意としたかった。
夏の南海岸は、常に吹いている南風の影響でなかなか入ることができない。
観光客の多い夏に入れないポイントだからこそ、美しいサンゴ群が残されていたのかもしれないが。
(※数年前に撮影した”ラビリンス”のサンゴ群)
八重干瀬(やびじ)にも何回も(仕事で)行ったが、ラビリンスには八重干瀬に匹敵するほどの美しいサンゴがひしめき合っていた。
ここは俺の知るポイントの中で、最後の最後に残された、元気なサンゴが見れる可能性のある聖域。
前半戦ではコンディションが整わず、一度も潜れなかった。
だが潜ったとしても、おそらもう”あの日”のサンゴ群は壊滅しているだろう。
それを確認したかった。
だがこのカラダでは仕方ない。
ベストなコンディションでなければ行くことはできない。
さて、とにかく荷造りを終わらせよう――。
ザ・宮古スパイラル
出発日をいつにするか――。
もう何時間も考え続けているが、まったく答えが出ない。
それどころか、考えれば考えるほど選択肢が増えていく。
こんな状況を俺の中でこう呼ぶ。
ザ・宮古スパイラル――。
2つの強力なジレンマを抱えている。
「宮古と多良間の日程の割り振り」をどうするか。
そしてもうひとつ。
ディアマンテスが出演するかどうかもわからない「オリオンビアフェス」を予定に組むかどうか――。
また、1ヵ月単位であれば、宿もレンタカーも割引が効く。
だが昨年のように中途半端な日数(48日)だと、非常に無駄が出てしまう。
48日滞在した場合、2ヶ月滞在するのと支出金額はほぼ変わらない。
かといってキリよく2ヵ月休んだりしたら、金銭的に危機的状況になるのは明白だ。
落とし所をどこにするか――。
諸事情により「前半後半」という形で「宮古と多良間」を分けることもできない。
ベースキャンプを宮古にして、その期間中に多良間に渡るのが理想的だ。
だがそれよりも何よりも、俺はとんでもなく大切なことを忘れている。
まだ会社に正式な休みの申告をしていない――。
(8/15)「野宿 vs 生存本能」の巻
日本が高度経済成長を遂げていた時代の「下町の一般的なアパートメント」とでも言えばいいだろうか。
まるで名曲「神田川」を彷彿とさせるような、レトロでノーセキュリティな宿。
「座敷わらし」が出現したとしても、きっと驚かなかっただろう。
だがこの日の夜、俺は、こんな「昭和チックな宿」でさえ「極楽の地」だと思えるような宿泊体験をする。
ある意味、あれは「アハ体験」だったのかもしれない。
カラダを横にして布団で眠れることが、どれほど幸せなのかということを、身を持って知ることになるのだった。
宿を出て真っ先に向かったのは「ふる里海浜公園」。
とにかくここは、俺にとってすべての起点となるエモーショナルな場所である。
宮古島でいうと何処に該当するのだろうか――、と考えてみたが特に思い当たる場所は浮かばなかった。
いつも沖にポツンと見える岩。
地元では「トゥガリラ・トンバラ」と呼ばれているらしい。
この一連の景色は、いつだって気持ちを穏やかにしてくれる。
今日はコンディションも良さそうだ。
透明度も文句なし。
トゥガリラ・トンバラまで行ってみることにしよう。
マンジュウヒトデ。
「腕」部分はなく、鮮やかな色彩を海中で放つ。
とてもヒトデには見えないが、正真正銘、ヒトデの仲間である。
トゥガリラ・トンバラ付近でカクレクマノミのペアを見つけた。
平和そうに見える水中世界。
だが実際は潮の流れが速く、水中で体勢をキープするのはかなり大変だった。
宮古島ではほとんど見たことがない「イソギンチャク」「水草」「クマノミ」のスリーショットコラボ。
これもトゥガリラ・トンバラ付近の海域で見つけたポイントだ。
今回の旅で、多良間でのカクレクマノミ遭遇率は、宮古と比べてかなり高いことがわかった。
海面を漂う「イガイガしたもの」を見つけた。
これが何なのか、その正体は未だ謎のままだ。
誰かわかる人がいたら教えてほしい。
それにしても美しい多良間の海。
水中しか見ないなんてもったいない。
シュノーケリングしていることが滑稽に思えてしまう。
「ふる里海浜公園」は、トイレもシャワーも完備している。
海から上がったあと、そのまま器材を洗えるのは非常にありがたい。
近年の宮古島のように、有料でシャワーを借りたり、順番待ちをする必要もない。
洗い終えた器材は、そのまま石垣の上で天日干し。
器材を乾かしながら、東屋の日陰を利用して「夜」の準備を進める。
つまり「車中泊」あるいは「野宿」のための準備である。
車内の荷物をベンチとテーブルの上にすべてぶちまけ、車内整理を始めた。
その作業も終わり、やがて夕暮れの時間が訪れた。
真っ赤な太陽が水平線の彼方に静かに沈んでゆく。
これまでの人生、今の自分、将来のこと、そんないろいろなことを考える。
太陽は完全に消えた。
ここから刻々と色彩を変化させていく空を見るのも好きだ。
いわゆる「マジックアワー」の時間帯。
結局、ビーチが暗闇に包まれる寸前まで、この場所を動けなかった。
さあ、感傷に浸ってばかりはいられない。
ここからが今日の「本番」になる。
まずは夕食を摂るため、一度、集落に戻った。
夕食といっても、向かった先は居酒屋。
多良間島には食事処というものが本当にほとんどない。
何かを食べようと思ったら、向かう先は居酒屋しかないのだ。
しかも臨時休業も多いため、夕食のアテがない場合、かなりリスキーな賭けになる。
夕食にあり付けるかどうかは、イチかバチかのロシアンルーレット。
胃袋を賭けた「タラマンルーレット」である。
ここは島で数件しかない居酒屋の「凪(なぎ)」。
いちばん腹に溜まりそうなメニューを探した結果、それが「そうめんチャンプルー」だった。
ガッツリご飯を食べたかった俺にとっては、まあまあの地獄である。
夜の計画はいろいろと練っていた。
「天の川撮影」もその中のひとつ。
時間はたっぷりあるので、じっくりを腰を据えて撮影にチャレンジできる。
長時間の撮影になる「タイムラプス撮影」も、計画のひとつだった。
星の軌跡を動画で撮影するのだ。
車中で仮眠を取れるので、帰宅時間を気にする必要はない。
さぁ、やるぞ――。
意気込む俺を待ち受けていたのは、嫌がらせのような曇天だった。
最初のこの一枚が唯一まともなショットとなった。
いくつかのポイントを見て廻ったが、どこの空も分厚い雲に阻まれており、天の川撮影は諦めざるを得なかった。
だが焦る必要はない。
こんなこともあろうかと、俺には予備の計画があったのだ。
ヤシガニ探索である。
まったく知らない土地だったが、ヤシガニはすぐに見つけることができた。
幸先がいい。
だがここで予期せぬ事態に見舞われる。
それは……。
わずか5分ほどで、ヤシガニ探索に飽きたのである。
まったくの計算外だった。
俺の計画では「飽きる」という想定はしていなかった。
多良間の漆黒の闇の中で、なぜ俺はヤシガニを探しているのだろう――。
決して気づいてはいけない疑問だった。
一度そんなことを考え始めたらキリがない。
なぜなら俺の行動に正当性のある理由などないのだ。
唐突に現実に引き戻されたような気分。
もう寝るか――。
妥当な判断だった。
港の岩壁沿いに車を停車させた。
なんてロマンチックな夜なんだ。
俺は一人、悦に入った。
「お泊りセット」ならぬ「歯磨きセット」で、就寝前の歯磨きをする。
小学生の頃の修学旅行の夜のようにワクワクしてきた。
車中泊なんて人生初の体験だ。
運転席と助手席に少し手を加え、簡易ベッドルームをこしらえた。
枕もあるし、腰が痛くならないよう背中に敷くクッションも用意した。
ダッシュボードに置いたランタンの淡い光は、とてもムーディーな夜を演出してくれた。
快適な夜の予感。今夜はぐっすり眠れそうだ。
そして数時間後には、昇る朝日とともに、心地よい波の音と、小鳥のさえずりで目を覚ますのだ。
俺の計画と装備は完璧だった。
おやすみなさい――。
うん?
おや?
あれ?
カラダがまったく伸ばせない。
さらに首は痛いし、腰も痛い、ハンドルは邪魔だし、背中にはシートベルトのバックルが食い込みやがる。
おまけに風が強かったため、少し開けた窓からは不快な風切り音。
優しい波音が心地良い子守唄になるはずだったが、堤防に当たる波は単なる衝撃音でしかない。
エアコンを止めた車内は蒸し暑く、窓を開けると海からの湿った強風が吹き込み、さらに不快指数は上がる。
車内は完璧な不快感に包まれた。
眠れる予感がまったくしねぇ――。
悪夢の始まりだった。
ここから長い長い夜が始まる。
そして俺は気づくのだ。
運転席は横になって眠るためのものではない――、と。
――つづく――
絶望するくらい寝返りを繰り返し、落ち着ける体勢を見つけようとした。
しかし睡眠が可能になるポジションは車内には存在しなかった。
結局2時間ほど車内で格闘するも、一瞬たりとも眠れることはなかった。
このままじゃヤベぇ――。
俺は第2の作戦に打って出ることにした。
それは「車外で寝る作戦」だ。
こんな非常事態のときのための準備も怠ってはいない。
車内には折りたたんだ状態の段ボールが積み込まれていた。
それらを要領よく、港のアルファルとの上に敷き詰める。
強風のために重りが必要だったが、それは潜るときに使う「ウェイト」を利用した。
なんとか「段ボールハウス」の設置が完了した。
これで思い切りカラダが伸ばせる。
車内では悪戦苦闘したが、これでようやく眠ることができそうだ。
おやすみなさい――。
うん?
おや?
あれ?
はじめは、星空のもとで眠るなんて最高――、などど楽観視していた。
だが実際には、漆黒の闇の屋外に段ボールを敷いて眠るなんて、無防備すぎて不安しかなかった。
カラダの表面を吹き抜ける強風が恐怖をあおり、岩壁に打ち付ける波の音が不気味に鳴り響く。
むしろ車内よりも眠れない……。
これは完全に人間の生存本能に関係していると思われた。
夜の闇の中で無防備で眠ることは、どんな外敵に襲われるかもわからない――、そんな原始の頃から人間のカラダの奥底に刻み込まれた生存本能のDNAが「眠るな」という指令を出しているのだ。
路上に敷いた段ボール、夜の闇、無防備なカラダ、風の音、波の音、得体の知れぬ不安感……。
夏とはいえ夜の海風は肌寒く、頭は冴え渡り、鼓動は速くなった。
もうすでに、眠れる要素などまったくなかった。
俺は心の底から思った。
布団で眠れることが、どれほど幸せなのか――、ということを。
このときもし「今からでも泊まれる宿」があったなら、きっと俺は高額紙幣数枚を出してでも、泊まらせてもらっていたことだろう。
結局、路上では絶対に眠れないということを確信した俺は車内に戻った。
少なくとも、車内には生存本能を脅かすような恐怖はない。
カラダが窮屈だという物理的な要因さえ排除すれば、まだ眠れる可能性は残されていた。
何度も何度も体勢を入れ替えては、明け方まで、浅い眠りと覚醒とを繰り返した。
本当に眠れた時間は、きっと1時間にも満たなかったと思う。
楽しさなど微塵もなく、ただただ辛いだけの罰ゲームのような夜だった。
やがて長い夜は明けた――。
肉体的、精神的にはかなり参ったが、素晴らしい教訓になったのも事実。
来年のナイトキャンプで何が必要なのか、実体験を通してわかった。
アスファルトの硬さ、夜風の冷たさも、身を持って知ることができた。
貴重な体験だった――。
朝の缶コーヒーを飲み干すと、俺は行くあてもないままに車を発進させた――。
自覚なき破壊神
素晴らしい計画。
これで宮古島の東海岸も、さらに賑わっていくことだろう。
東は島で唯一残されていた絶好の星空スポットだったが、それももう終わりだ。
日に日に「終焉」に近づいていく宮古島。
ゆったり流れる「島時間」など、もはや幻想にすぎず、島内を縦横無尽に走り回るダンプカーの轟音にかき消されてしまう。
かつて胸を躍らせた「隠れビーチ」は、家族連れで行ける快適なビーチリゾートに整備されていく。
観光客の利便性を追求し、満足度を満たそうとすればするほど、宮古島は内地化していき、わざわざ宮古島に行く必要性はなくなる。
誰もが思い描いていた「自分だけの宮古島」は、もはや過去の遺物。
地元の人との触れ合い?そんなものありゃしない。
金を落としていってくれる観光客に愛想良くするのはどこの観光地だって同じだろう。
それを「触れ合い」だと思い込んでいるのは観光客のエゴであり、誤解も甚だしい。
宮古島のサンゴの死滅が進んでいる原因も「台風が来ない」からじゃない。
観光客が増え、シュノーケリングツアー業者が増えた結果だ。
誰もが気づいているはずなのに、やたらと自然のせいにしやがる。
自然のサイクルは遥か昔から何一つ変わっちゃいない。
変わったのは人間の数。人間が増えたことが、すべての諸悪の根源。
自然環境が破壊されていく原因を「自然」に責任転嫁するのはやめろ。
浄化作用を持っている自然でも、唯一浄化できないものがある。
それが我々、エゴのカタマリの「人間」だ。
しかしそんな傲慢な人間共に自然の鉄槌が下る日は、そう遠くないのかもしれない。
俺は自分流で、せいぜいラスト宮古を楽しむさ――。
(8/14)「多良間島・動画ダイジェスト」の巻
毎朝、午前8時に集落内に響き渡るメロディー。
どこか寂しげなメロディーを聞いた動物たちの、怯えるようなうめき声で目が覚めていた。
ある意味それは異様な光景だった。
(2017.08.14)「ふる里海浜公園前のビーチ」の巻
もともとは今日の午後の船で宮古へ戻るつもりだった。
だが俺は迷っていた。
答えを出せないまま「ふる里海浜公園」に来ていた。
(2017.08.14)「ヤシの木とトゥガリラ・トンバラ」の巻
風で揺れるヤシの木の奥に、チラチラと見えるのが「トゥガリラ・トンバラ」。
海面に飛び出た大きな岩は、多良間ではそう呼ばれていた。
宮古に戻るか迷っていたが、本当はもう結論は出ていたような気がする。
(2017.08.14)「宮古に戻るか、多良間に残るか」の巻
多良間に残ることを決めた。
宮古に戻っても、過去をトレースするだけの日々になることはわかっていたからだ。
テープが擦り切れるまで何度も繰り返し見た映画を、今さら見たところで感動は薄れていくばかり。
そんなおざなりな旅よりも、面白いかつまらないかはわからないが、まだ見たことのない映画を見たかった。
(2017.08.14)「工場裏のビーチを目指して」の巻
誰もいない。
当然、ビーチの名さえありはしない。
すべて自分で開拓するしかない。
(2017.08.14)「白砂ビーチと幾重ものブルー」の巻
白砂のビーチと、何層ものグラデーションで彩られた多良間ブルー。
そんな景色の中をたったひとり歩く。
俺にはこういった時間が誰よりも必要な気がする。