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HARUのスローライフ日記

~死す時は宮古の海に抱かれて~

(7/3)「あの頃」の巻 

20170703 (1)
バイクに乗る必要があったため、右目は裸眼のまま、左目だけコンタクトを装用した。
今日の右目の状態はかなりひどく、とても人に見せられるものではなかったので眼帯をした。
こんな真夏日に眼帯をしていたから、そうとう目立ったと思う。
だが眼帯をしていなくても、結果は同じだろう。
俺の右目は普通じゃないのだから。

20170703 (3)
出かけた用事は、宮古島のためではない。
俺が宮古島に行っている期間中、母が誕生日を迎える。
この5年間、夏はいつも宮古島にいたので、ずっと母の誕生日を祝ってあげれずにいた。
だから今年はあらかじめプレゼントを買っておくことにしたのだ。

20170703 (4)
母は「紫色」が好きなので、紫色の手編みのトートバッグを買った。
先日、宮古島へのおみやげを買いに行った際、たまたま見つけて気になっていたものだ。
喜んでくれるといいのだが。

買物を終えたその足で、父のところへ宮古島へ行く前の最後の顔出しに行った。
お互いの近況を報告したのだが、父の目の病がだいぶ進行しているらしい。
視野がさらに狭まっているらしく、たとえば、ハガキの郵便番号の赤枠が1マスごとしか視界に入らないということだ。

かろうじて日常生活を営んではいるものの、少しずつだが確実に病気は進行しているらしく、父の不安な気持ちを思うと胸が押し潰されそうになった。

そんな父に俺の「右目」のことを話しても、そんなものは心配するに値しない――、と、軽く一蹴されてしまうだけだ。
俺は俺で、精神的にかなりまいっている状態なのだが、父からしてみたら、目が見えているだけで幸せなんだと思う。

20170703 (2)
父が暮らす町には、俺の通っていた中学校がある。
建物は改築されたが、雰囲気は昔のままだ。
懐かしいな……。
このグラウンドでバレーボールをしたり、サッカーをしたり……。

あの頃は、まだ父も働き盛りで、カラダも健康そのものだった。
父は大の釣り好きだったので、休みの日には、よく大型バイクにまたがって釣りに出かけていた。
父のバイクの後ろに乗せてもらい、親子二人でツーリングに行ったこともあった。

俺の視力は中学までは「2.0」あった。
だから教室の席はいつも最後列だった。
まさか大人になって、これほど視力が落ちるとは想像もしなかった。

あれから数十年という月日が流れた。
いろいろなものが変わった。
人も町も人生も、あらゆるものが変わった。

時計の針は休むことなく、時を刻み続けた。
気づけば俺も、自分が中学生だった頃の父の年齢を超えた。
父もそれだけ歳をとった。

人生は早い。
いや、本当に「一瞬の出来事」なのかもしれない。
だがその一瞬の中には数え切れないほどの思い出がある。

もう一度、人生をやり直せるとしたら、誰もが幸せになれるのだろうか。
あのとき、ああしておけば――、そんな後悔をすべてやり直してみたい。
そうしたら「完璧な人生」を送れたかもしれない。

だが振り返れば、それなりに幸せな人生だった。
それに、あのとき、ああしておけば――、という後悔をやり直せたとしても、それはそれで、また何か別に後悔する出来事が発生していたとも思う。

後悔の多い、いや、後悔ばかりの人生だった。
だが俺は今のこの人生のままでいい。
多くは望まない。大切な家族のそばにいれるだけでいい。

宮古島まで、あと3日――。
2017/07/03 Mon. 23:00 | trackback: -- | comment: -- | edit